言い訳をやめること

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 日々の生活を勝利に導きたいと思うのならば、言い訳をしない日々を送るようにしたらいいのです。
 
自分の不信仰の言い訳をして平気でいる人がいますが、神の目から見れば救いようのない人たちです。自分が恵まれていない事実をかくすために、どれだけ多くの他人に対する非難を見つけてみても、神の前でかくすことはできないのです。

 私たちが神に祝された人生を送るか否かは、個人の問題であって、他人とは関係のないことなのです。

 使徒行伝の中で獄中にあったパウロとシラスがなぜ賛美の中で勝利できたのか、それは、どのような条件の中でも、自分が恵まれることを妨げるものがなかったからです。
 その結果、神の奇跡も起こりうるのです。
 
 自分の都合のよいときだけ、アーメン、ハレルヤと叫ぶようなクリスチャンは真の信仰の中にあるとは言えません。
 友達が親切ではない、教会に愛がないなどと文句を並べてみても、自分がそのことのゆえに神からの祝福を失っていることに気づかない人は不幸です。
 
 信仰生活の全般から、言い訳を取り除いて、素直に“救われたいのは自分である”と告白して神の前にひざまづくとき、溢れる恵みが注がれてくるのです。
 自分の得手勝手なことのためにはどんな都合をつけででも目的を果たすのに、神の前に出られない言い訳を探しているならば、神の恵みを期待すべきではありません。

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